公開日: 2021/12/27
更新日: 2022/09/21
「この辺りは近くに駅がなく、路線バスの本数も少ない。だから、バイクは生活には絶対に欠かせないんです」
山元モーターサイクルの山元 隆代表は、鹿屋市(鹿児島県)における二輪事情について説明する。
都心部であれば、交通網が発達しているため、移動手段という側面だけで考えるとクルマやスクーターがなくても、さほど不便はない。けれども、地域によっては、交通手段としてバイクに頼らざるを得ないこともある。坂道が多い地域なども同様だろう。
こうした地域性を受け、山元代表は40年近く前からある取組みを行ってきた。
山元モーターサイクルは1960年に山元代表の父である山元誉氏が鹿屋市内で創業した。山元代表は18歳で家業に就き、暫くは親子で店を切り盛りしていた。だが、ある思いから4年後の1975年、22歳にして自らの店をオープン。創業の地で9年間営業した後、1985年に現拠点に移転し36年が経過した。その間、継続して行ってきた取組み、それが早朝7時からの営業であった。
これは、ただ店を早く開けているというものではない。そこには明確な目的があった。スクーターを通勤・通学で利用している学生やサラリーマンのトラブル対応のためだったのだ。これについて山元代表は、次のように説明する。
「鹿屋市は公共交通機関が限られているので、高校生は通学のためスクーターを利用します。サラリーマンも毎日のように乗るので、トラブルは日常的に発生するのです。そうした状況を知っていたので、何とかしてあげたいと思ってました。そのためには通勤通学の時間帯に店を開けておく必要がある。そのため7時に店を開けるようにしたのです」
最も多い依頼はエンジンがかからないのでかけてほしい、パンクしているので、学校( 会社) に行く前に直して欲しい、というもの。依頼を受けたら軽トラでユーザー宅に向かい、その場で対応できるものは対応し、そうでない車両はクルマに積みこみ、ユーザーを会社や学校まで送迎した後、店に戻る。そして夕方までに修理を済ませ、車両を積んで再び職場や学校に向かう、というものだ。
「市内には公立高校が5校、私立高校1校の計6校があるので、それなりにお客さんはいます。地域性ですね。都会にはマッチしないサービスかもしれませんが、ここでは個人を、そしてアフターサービスを大切にすることが最も重要なのです。その根底には口コミがあります。『あそこは朝早く修理を受けてくれるだけではなく学校にも送ってくれる』とかね。この効果は絶大なのです」
こうした問い合わせが掛かってくる件数はどれくらいあるのだろうか。車両の高性能化に伴い、サービスを開始した当初ほどの件数はないというが、均すと月に10件程度の依頼はあるという。年間では120件。これに単純に40を掛けると・・・。驚愕の件数である。
「いまは車両の性能が向上しているので、突発的なトラブルよりもメンテで預ける機会が増えています。ただ、緊急を要する依頼もあるので、7時オープンは継続しています」
こうした取組みの結果、全盛期には市内の高校生が乗るスクーターのうち、7割が山元モーターサイクルの車両、という時もあったという。やはりこれには地道な努力があった。
「年間計画を立てるのです。鹿児島で需要が落ち込むのは6月、10月、11月なので、その時期の訪問リストをつくり、訪問営業を行います。夕方、食事の準備等の時間を避け、5時半から6時半頃の時間帯で、下取りや新型車の案内を、お客さんごとの個別リストを作って回っていました。いまでは考えられないことだと思いますが、こうした対応を行うことで、新車だけで年間300台の販売を達成できたのです」
これには鹿児島県民の“義理堅さ”という気質があった。何度も足を運んでくれているなら、買ってあげようか、と心が動くのだという。
翻って現在はどうか。もちろん、時代の流れ、世の趨勢から訪問営業は行っていないが、新たな問題に直面している。人口の減少だ。鹿屋市の人口は2021年10月現在で約10万人。ここ数年、微減傾向が続いているのだ。また、80年代、90年代の全盛期は30件ほどあった販売店も、いまでは3分の1以下に減少しているという。
この背景には後継者問題が横臥する。店を継ぐ人材がいないため、高齢化により店を畳まざるを得なくなってしまうのだ。同時に高校生のユーザーも減少している。
では、現在はどうか。よく言われる話ではあるが、新車と中古の比率が完全に逆転し、いまは7割が中古だという。また、車両の高性能化も関連し、代替えサイクルも長くなっている。
「最盛期には、高校生にスクーターを買い与える親も、卒業まで乗るのだから、新車にしなさい、という考えの親が多かった。けれどもいまは、わずか3年間なら中古でいいでしょ、となるのです(笑)」
同店における原付ユーザーの比率は全体の8割で残りが400ccクラスまでのユーザーとなる。4年前までは、9割以上が原付だったというが、高校生ユーザーの比率が下がったことから、扱いを増やし始めたという。
「2020年は新・中合わせて200台ほど売れたけど、そこに占める高校生の比率は少子化により毎年、下がっているのです。それをカバーするために、どこのカテゴリーを強化するかを考えました。最初は安いフュージョン、次にマグザムと、市場の動きを見ながら組み立てました。四輪プラス二輪の六輪生活。これは、この地域では外せないものなのです」
では、スクーターに乗っていた高校生が卒業後に250㏄クラス以上のモデルにステップアップする比率はどれくらいあるのだろうか。聞くと、卒業生全体の3割は軽二輪以上に乗るのだという。
二輪はないと困るけどクルマは絶対に外せない。そのため二輪に使えるお金は限られてくる。乗り出し価格は20~30万円が限界値だと山元代表は言う。ビッグスクーターのラインアップ強化は、そうしたところにも狙いがあった。この段階で弾き出されたのが大型クラスである。
「大型を求めるお客さんは、あまりアフターのことを考えず、鹿児島市内など大きな都市に行く傾向があります。やはり現車確認を望んでいるので、勝負にならないんです。加えて大型になると、購入決定までかなり時間を要する。利幅は大きくても、効率的にはいいとは言えない。軽二輪や普通二輪クラスのウェイトを高めた理由は、そんなところにもあるのです」
時流を読み、その時々で進むべき方向性を微調整している山元代表。最近、始めたのはパーツの通販。それには高校生ユーザーからのパーツの持ち込みが増えたことに起因する。
「高校生がネットで買ったパーツを持って店に来るんです。そんな時、私は条件を出します。それは、ネットで買う前に必ず相談するように、というものです。理由は『装備の可不可』『法的な問題の有無』『トラブルへの発展の可能性』などについて確認するためなのです」
そこで問題がないようなら、取り付け依頼を受諾しているという。事前確認があるとはいえ、持込パーツの装着は、基本的には受けない店も多い中、こうした対応を行うことの理由は何か。ずばりユーザーニーズの収集だ。
「私はいま、68歳ですが、これからも色々なことにチャレンジしたいという気持ちが強いんです。でもね、高校生のお客さんからすると、私はおじいちゃんでしょ。その差をいかに縮めるかなんです。私がこの仕事に就いたばかりの頃、高校生のお客さんが来店した時に、父が話しかけたんです。でも、ひと言も答えてくれなかった(笑)。いま、私がその年齢に差し掛かったわけですが、そこには年齢差という目には見えない、取り除くべき大きなギャップがある。そのためには私が年齢という坂道を下っていくしかない。過去に通り過ぎた道ですからね。つまり、私の過去の体験談をベースに話を振ると、本人の共感が得られることが経験上、分かっています。ある意味、お客さんは先生なのです」
ユーザーから得た情報が、方向性を定める羅針盤となるのだ。
修理等の対応についても、いまのユーザー特性を鑑み対応している。例えばパーツ交換。作業の様子をすべて写真で撮っているのだ。理由は、本当に作業をしたのかどうか、疑うユーザーもいるからだという。
「作業の行程を撮影しています。この前はガスケットがめくれてしまったので、その状態を撮影し、見積もりに加えたりしました。多い時で10枚ほど撮影しています。そうすると、お客さんも理解してくれます。いまはそういう時代なので、ニーズに合わせる。ひと昔前では考えられなかったことでも、いまはそれが普通なのです」
確かにいまは、四輪ディーラーでも、交換したパーツを確認するかどうかを聞いてくる時代。これも、ディーラーが自発的に始めたものではなく、そういうユーザーが増えたための対応なのだ。
40年にわたり、地域に根差したサービスを展開してきた山元モーターサイクルだが、今後は先にも触れたパーツ販売も、二輪販売と並ぶ柱に育てていく、というビジョンを描いている。
「かつてはバイヤーに引き取ってもらっていたスクーターのパーツなども、廃盤になっているものだとそれなりの価値がある。だから、時間のある時に、ばらして綺麗にし、出すようにしています」
山元代表が取材の中で多く用いた言葉の一つに「情報」がある。情報収集の重要性を一貫して強調していたのだ。原点は訪問営業による情報収集とアプローチ。すべてはここから始まった。そして、高校生との会話を通じたトレンドリサーチを重要な情報収集手段とし、そこで得たものを、車両やパーツの仕入れに反映させている。68歳になった現在でも歩みを止めることはない。
「だって、何事もやってみないと分からないでしょ」
この考え方が山元代表の考え方における原点であった。
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