公開日: 2021/03/16
更新日: 2022/09/06
――― 今度は何を仕掛けるのだろう。野口さんにはそんなイメージがあります。昨年12月にモータリストを設立されましたが、まずは野口さんの経歴と会社設立に至るまでの経緯を教えて下さい。
野口 元々は自動車メーカーのマツダに10年間、勤務していました。商品企画を担当し、北米マツダにも1991年から97年までの6年間駐在していました。マツダはアメリカ向けにホモロゲーションモデルなどを輸出していましたが、当時(95年頃)は最も円高が加速した時期。貿易摩擦が熾烈を極めており、アメリカによる日本の自動車業界へのプレッシャーは相当なものでした。
――― 日本バッシングがピークだった時期ですね。
野口 そうです。一番酷かった頃ですね。当時、私はその対応を担当していました。あの頃、アメリカではミニバンが大人気でクライスラーはボイジャー、フォードはクラブワゴンを発売し、それが大ヒットしていました。そんな時、トヨタはアメリカでプレビア(日本名・エスティマ)を、マツダはMPVを発売したところ、大ヒットしました。これがダンピングにあたるということで、ビッグ3が訴訟を起こしたのです。その時の対応が、私が担当した最初の案件でした。
――― マツダを去る決断をした理由は。
野口 フォードがマツダの経営の舵取りを行うようになったことで、私の中でマツダに期待していたこと、マツダでやりたかったことが変わってしまったからです。マツダを退職する時は、いくつかの四輪・二輪メーカーから「来ないか」と声を掛けて頂きました。マツダは安定した会社でしたけど、自動車メーカーからは離れたかったので、声を掛けて頂いた企業の一つであるハーレーダビッドソン・ジャパンに入社しました。
――― ハーレでは何を。
野口 ハーレーに入社し、その後、100%子会社だったビューエルに出向。統括責任者として業務を行いました。また、それと並行しハーレーの技術者として、アフターサービスやメカニックのトレーニングなども担当しました。ハーレーは輸入会社なので、当時は技術系のスタッフが一人もいなかったのです。私はエンジニアでもあるので、ハーレーのテクニカルサービス全般を担う仕事も行いました。その他、本国のサービスマニュアルの翻訳も行ったし、最終的には仙台にある「赤門自動車整備専門学校」と東京の「東京工科専門学校」にハーレーの技術者養成クラスを立ち上げました。私がハーレーに入社した時は、販売台数は年間9000台でしたが、私が退職する頃には倍近くの1万6000台にまで伸びました。一方のビューエルは、台数が伸びず、2008年のリーマンショックがファイナルクライシスとなり、ついには会社自体がなくなりました。ハーレーには14年間在籍しました。
――― その後、KTMの社長に就任されました。
野口 ビューエルというメーカー自体がなくなったため、ハーレーを退職する決意を固めました。KTMからは、ハーレー時代にずっとオファーを受けていたので、そのタイミングでお請けすることになりました。入社時は副社長待遇でしたが、その後、社長のポストに就きました。KTMで社長として仕事をしたのは、ちょうど5年間でした。その後、四輪インポーターの仕事を2年ほど行った後、サイン・ハウスの社長に就任しました。これもオファーを頂いたため、お引き受けしました。
――― まさに「引っ張りだこ」ですね。
野口 とてもありがたいお話です。基本的に私はあまり断りません。もちろんその時々の事情が許せば、の話ですが。ご縁を頂いた方々のお話はしっかりとお聞きします。サイン・ハウスでは、スタッフの協力のもと、1年間で売上を30%伸ばしましたが、諸事情により当時、サイン・ハウスが扱っていたオートバイ販売の権利と在庫車両を買い取り、新会社を立ち上げることになったのです。取扱いブランドはランブレッタ、ファンティック、そしてSYMです。設立は昨年12月のことです。
――― 会社は合同会社です。珍しい形態ですが、どのような理由があるのでしょう。
野口 ビジネスの道筋をつけるのが私の仕事だと思っています。これが整えば後進に道を譲ろうと考えています。でも、会社が株式だと株の譲渡が必要となります。いまの若い人は、そんなお金をそう簡単には作れないでしょう。合同会社だと会社を譲る時の煩わしさを省けるので、あえて株式にはしなかったというワケです。
――― 独立後は様々な声が聞かれるようになったと思います。
野口 そうですね。不安視される方もいらっしゃいます。そんな時は、私がどのような考えのもと、この事業を始めたのか、どういうバックグラウンドがあるのか、どのようなスタッフがどういったテクニカルサービスを展開するのか、といった説明をジックリとさせて頂きます。販売店様が最も重要視されるのは、パーツの供給体制や修理対応、要望への明確な回答などです。これらについては、キチンとした体制が整っているので、全く問題はありません。とりわけパーツ供給体制については、膨大量のストックを直接ご確認頂くことで、不安は解消され、信頼して頂けるようになります。
――― 3ブランドについてお聞きします。まずはランブレッタ。現状の動きはどのような感じでしょうか。
野口 ランブレッタは一度失われたブランドです。メーカー自体は長い歴史を持つのですが、残念ながら思っていたほど名前は浸透していません。そこで以前、BDSさんの会場に車両を展示させて頂きましたが、これにより名前も徐々に浸透し、昨年の夏頃から徐々に売れるようになってきました。販売店様でも月に1台はコンスタントに売れるようになってきています。お客様に対しても、メーカーについて事細かに説明をさせて頂くケースは少なくなりましたね。私が、ランブレッタを取り扱っていて良かったなと思うのは、今まで出会ったことのないお客様に出会えることです。以前はハーレーやKTMなど、スクーター以外のモデルを扱ってきたため、スクーターに乗るお客様との接点はほとんどありませんでした。けれどもいまは、ファッションやライフスタイルを重視する考え方に触れることで、彼らの趣味や趣向が理解できるようになりました。弊社と弊社の商品を扱って下さっている販売店様にとっても、非常に大きな収穫だと思います。
――― ランブレッタには独自の世界観がある。
野口 そうですね。他メーカーのスクーターと比較される方も多いのですが、具体的に比較した方ほど、ランブレッタがいい、と言って下さいます。支持される理由は2つあります。1つはスタイリング。ランブレッタが好きな方の多くは、そこにレトロなファッション性を求めます。こういう方には、まさにベストマッチです。けれども、ランブレッタが現代風のデザインだったら、ランブレッタを買う必要はないと考えるのです。もう1つはトラブルの少なさ。サイン・ハウス時代も含め3年扱ってきましたが、怖いほど壊れません。これだけ壊れないのは、まさに奇跡に近いと思います。この話をすると、販売店さんはとても安心されます。
――― それは大きなアピール材料ですね。では、ランブレッタの取扱店を増やすための活動と既存店への対応については。
野口 弊社の仕事は、販売店様がバイクを売るためのお手伝いをすることです。弊社ならこういうお手伝いができます、と提案したうえで、数ある商材の中に、ユーザーに提案できる良い商材を一つ増やしませんか、とアプローチします。すでに弊社の製品を扱って頂いている販売店様には、こちらから「〇〇をやって下さい」という依頼は一切行いません。もちろん提案はさせて頂きますが、あくまでも主体は販売店様。そうしたなかで、例えば店で試乗会をやりたい、と希望すれば、私たちが試乗車を用意します。販売店様の意思が固まったら、徹底的にお手伝いをさせて頂く。つまり私たちの仕事は販売店様の要望をカタチにすることなのです。
――― 現在の販売代理店の数と販売台数目標は。
野口 全国で40店です。ただ、店を増やすというよりは、確実に毎月コンスタントに一定台数を販売できる販売店を30店ぐらい作り、そこをコアに展開しようと考えています。台数目標は年間400台。数年かけてその水準にまで引き上げます。ただ125㏄、200㏄のマーケットの年間販売台数は10万台ちょっと。その中の400台ですから、微々たるもの(笑)。マーケティング学的には、小さな目標なのですが、不可能でない数字に向かいたい、というのが私の考えです。
――― ファンティックについてはどうでしょう。
野口 日本は80年代半ばにトライアルブームが発生しました。インポーターも存在したのですが、ブームの終焉とともに輸入業者も何社か変わったため、イメージとしては新しく感じられると思います。一部、年配の方からは、「ファンティックって、トライアルのファンティック?」と聞かれることが少なからずありますが、ほとんどの方はご存知ない。「どこのメーカー?」という質問から会話が始まることが多いですね。取扱店は現在の取扱店は全国30店で目標販売台数は年間800台です。私はそれくらいは販売できる力のあるメーカーだと思っています。
――― 海外での評価は。
野口 ファンティックはヨーロッパでしか販売されていません。北米での販売もなくアジアでもファンティックを売っているのはウチだけです。今年からようやくオーストラリアでも販売される予定です。生産はすべてイタリア国内なのですが、ここには強い拘りがあるのです。ファンティックをひと言で表現すると「真面目な会社」と言えます。3度目の再生となる今回は、イタリアの投資家集団が出資し復活したのですが、そのグループのオーナーはイタリアにある企業にしか出資しません。世界に向けて製品を発信できるようなイタリア企業を育てることを目的としているからです。投資し、成長したら売り抜こうという考えではないのです。これは余談ですが、ミラノで開催されるエイクマでプレゼンテーションを行う時は、どのメーカーも英語で話します。けれどもファンティックだけはイタリア語で通す。もちろん英語は話せますが、そこはあえて曲げないんです。我々はイタリアの企業である、という主張ですね。それがプライドなのです。そういう姿勢が信頼にも結び付いているのかな、と。プライドの高い人は、途中で投げ出したりはしないものなのです。
――― 大きな安心材料ですね。次に、SYMはどうでしょう。
野口 ご存知の通り紆余曲折がありましたが、ホンダ車のOEM生産を請け負っていたメーカーであり、現在はヒュンダイの四輪車も生産しているので、技術力があります。KYMCOのような、斬新な技術やきらびやかさはないけど、真面目に製品を作っている。良く走るしスポーティーだし壊れないんです。職人気質な感じですね。シェアについては、台湾ではKYMCOには及ばないものの、高いシェアを誇ります。ヤマハとほぼ同等の16%ぐらいです。欧州では、国によって異なりますがSYMのシェアは高いですね。なかでもドイツでは根強い人気があります。話は逸れますが、ランブレッタはSYMの工場で生産しています。ランブレッタのスタッフが駐在しており、品質チェックを行っています。設計はイタリアだけどSYMが製造委託を受けています。
――― ユーザーのSYMに対する印象はどうでしょうか。
野口 よく走る、という感想が多いです。世界的に製品供給が滞っているいまこそが、SYM拡販のチャンスなのだと思います。
――― ということは、生産ラインは止まってないわけですね。
野口 正常に稼働しています。これが強みです。これは本体だけではなくパーツも同様。国内に多数、ストックしています。パーツは注文頂いたらその日のうちに出荷できる体制を整えています。国内メーカーと同等かそれ以上だと思います。これはSYMに限らずランブレッタもファンティックも同様です。
――― 販売店数と目標販売台数について教えて下さい。
野口 新車を売っている販売店数は20店です。過去に販売経験のある店は300店ありましたけど、実際に動いている店は200店ほど。リストを引き継いでいるので、確かな数字です。台数目標ですが、将来的には、以前のインポーターと同じ水準への引き上げを考えています。最も売った年で5000台で、その前後でも4000台は販売しているので、そこを目標にしています。まずは1000台ですね。SYMはリーズナブルで良い商品だと思います。販売価格については、国産スクーターを扱う一部の販売店から、「ウチは3万円値引きしているので、それに合わせてほしい」という話を受けることがあります。値引きは当たり前だから、というのが理由のようです。もちろん、そうした申し出を受けることはありませんが、そのような時は、「値引きして誰が得をするのですか」と逆に尋ねます。値引きしないと売れないことはないと私は思います。
――― コロナの影響はどうでしょうか。
野口 物流面に深刻な影響が出ています、コンテナ不足ですね。3メーカーとも生産は滞りないのですが、輸入が滞っているのです。また、物流費(コンテナの運賃)もこの1年の間に驚くほど値上がりしました。航空便もかつてない需要の高まりから、国際貨物の運賃も高止まりしているのが現状です。
――― この先、どのような展開を考えていますか。
野口 オートバイの面白さを、可能な限り伝えていきたいと思います。オートバイは、単なる「モノ」ではなく「乗って楽しむモノ」です。遊びの場を提供することで、オートバイの楽しさを伝えていきたいですね。その一環として位置付けているのが広告。ウチではすべてイラストを主体にした広告を掲載しています。ブランドがもつ楽しさをイラストで表現しているのです。他社ではあまり見ない手法だと思います。この広告は、販売店の要望に応じて、広告そのものをポスターにし、店に貼って頂いたりします。
――― 小池都知事が2030年までに都内で販売される新車すべてをハイブリッド車(HV)や電気自動車(EV)に切り替える方針を示しました。
野口 それが世界的な潮流であれば、仕方のないことだと思います。メーカーは過去にも技術の進歩、技術革新により壁を乗り越えてきたので、超えられないことはない。個人的には内燃機が好きなのですが、商売とは別です。その時代に適応できるような方法を考えるでしょう。幸いSYMはEVバイクを製品として持ってますし、ネットで発表するなど着実に手は打っています。ファンティックについてはさらに進んでいます。元々、このメーカーが復活したキッカケは、電動アシスト自転車であり、これが最初のモビリティだったのです。
――― 電動モビリティにも目が向く。
野口 オートバイがEV化し価格が上がったら、販売台数は減るでしょう。そこでポイントとなるのは、買わなくなった人に対する対策です。彼らの多くは、間違いなく楽しさを忘れたくないと考えている人たちです。そんな彼らには、ファンティックの電動アシスト自転車を使った遊びを提案できるだろうと考えています。フルサスペンションのマウンテンバイクは、日本では高級車のグレードに入ります。一番安いものでも40万円台後半です。でも、モーターとバッテリーを備えたフルサスタイプの自転車としては、決して高いわけではないのです。バッテリーの容量は現在、日本で流通している電動アシスト自転車の中では最大クラス。モーターも、トルクウェイトレシオは世界一と言われているモノを積んでいます。このゾーンの製品は、弊社でもすでに抑えています。そういう意味では、違う種類の、しかも電動モビリティの時代を先取りした楽しさは、提供できると考えています。
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