公開日: 2021/10/27
更新日: 2022/09/21
なかなか見かけない店舗デザインである。一見すると、ホテルの1階にテナント出店しているショップのよう。その、ヨーロッパ調デザインの外観には「瀟洒」という言葉がピッタリと当てはまる。そして店頭には、ひと目でそれと分かるヴィンテージハーレーが並んでいる。
有限会社バンカラ(神原良太社長)。広島県広島市西区に拠点を構える、ヴィンテージハーレーを中心とした旧車専門店である。建物は9階建てワンルームマンションで店舗は1階。神原社長は、このマンションのオーナーでもある。
同氏は元々、建設業界の出身。24歳で転職し、広島の大手四輪・二輪ディーラーに入社した。ディーラーには約7年勤務し独立。その後、バンカラを設立した。
最初は現拠点から少し離れた場所に拠点を構えた。見た目もごく普通の販売店であった。神原社長は当時の状況について、次のように語る。
「オープンは1999年ですが、当時はいまほどヴィンテージに振ったモデルは多く扱っていませんでした。在庫は90年代の主流だったエボリューションがおよそ半数で、残りが70年代以前のモデル。そこで20年販売を行い2019年に現在の場所に移りました」
現在の店舗の設計については、内外装はもちろんタイル1枚に至るまで、すべて神原社長が決めた。
土地面積は200坪。移転のかなり以前に、将来の自社物件の建設に備え購入していたという。つまり長期的スパンでビジョンを描いていたのだ。
「最初は2階建ての店舗を考えていました。けれども知人から、賃貸マンションにしたらどうか、とのアドバイスがあり、それもいいな、と。銀行と交渉し融資を受けられることになったので、一転しマンションを建てることになりました」
移転によるメリットの一つとしては、ユーザーに与える安心感が考えられるが、それが適中してか、県外からのユーザーが増えているという。最近の傾向としては、インスタを見ての来店が圧倒的多数で、ホームぺージを見ての来店は少数だという。
「もうホームページは必要ないのかな、と思ってしまうほどです。アカウントは私用とスタッフ用の2つがあるのですが、私は“日常“について書き、スタッフは入庫した車両をテーマに書く、そんな感じです」
在庫は全部で25台ほど。他にユーザーからの委託車両も10台ある。ハーレーに関しては、ナックルヘッドやパンヘッド、サイドバルブやショベルヘッド、そしてエボリューションまで、幅広く揃う。国産ではカワサキの77年式KZ1000LTDB‐2やホンダの69年式CB750K0などもある。
最も歴史のあるモデルは1936年から1947年まで生産されたナックルヘッド。取材時に在庫していた車両のなかでは、1937年のELが最も古く価格は1100万円。新しいモデルでも1995年製FXDWG。価格は156万円だ。
気になるのは仕入れルート。これについて神原社長に聞いた。
「全体の7〜8割ほどを知人のコーディネーターから輸入しています。ナックルやショベルを年間10台ほど引っ張ってくることができれば上出来です。年間販売台数は70台前後です」
平均単価は200万円を少し切るほどだというが、最も高額な車両は先日、熊本のユーザーに販売した1300万円のナックルヘッドだという。このユーザーも、インスタを見てバンカラの存在を知った様子。ユーザーの年齢層は50〜60代が最も多く、ハーレーを乗り継いできている会社経営者が多いのが特徴だ。熊本のユーザーもこの層に当てはまるという。
ヴィンテージモデルに乗るユーザーは、どのように楽しんでいるのか。さすがに70〜80年も前の車両となると、ツーリングを楽しむ機会は相当少ないだろうと想像したが、実際はそうでもないという。これについて神原社長はこう語る。
「アレ( と言いながら店内の車両を指さす)は1948年製のWRというファクトリーレーサーで、私のオートバイなのですが、富士で開催されるA.V.C.C(アメリカン・ビンテージ・モーターサイクル・コンペティション・クラブマン・ロードレース)にアレでずっと参戦していました」
つまり、出場できるだけのコンディションを作り出せるスキルがある、ということなのだ。レースへの出場はユーザーからの信用の醸成に繋がる。
「参戦することで信用度が高まるのです。最近はすこし怠けてますが、以前はずっと首位をキープしていました。これは大きいですね」
これは、かつての国内メーカーの手法である。レースで知名度・商品価値を高め、その技術を市販車にフィードバックするやり方だ。
「おかげさまでお客さんからは、『バンカラさんなら安心』とよく言われるようになりましたね」
ヴィンテージモデルの場合、トラブルに対する不安は多くのユーザーが感じることだと思うが、これについては保証の充実により不安の払拭に努めている。保証内容は、1年間保証もしくは1万キロ保証のどちらかを選ぶというもの。これは以前から継続しているという。保証にはパーツ一つひとつが関係するが、バンカラではこのあたりの見極めには細心の注意を払う。
「内燃機は、モデルによりオリジナルでないとダメなモノもあれば、そうでないほうがいいモデルもあるので、その見極めがポイントです。パーツについてはドラッグスペシャリティーズやVツインなどのアフターパーツメーカーから仕入れます。例外はガスケット。ウチがオリジナルで製作しています。既製品はどうしても満足できないので、ウチのオリジナルを使っています。これによりクォリティは格段に向上しました」
バンカラでは、販売車両のクォリティ向上にはかなり重きをおいているが、車両については先にも述べたように、注文買いは少なく神原社長の目利きで仕入れた車両をユーザーが確認し商談に入る、という流れだ。
「コーディネーターからのオファー物件を確認し、これは、と思った車両を仕入れます。お客さんに、こんなバイクがありますよ、と話すと、価格を聞かれます。まだ車両自体が入ってないので、おおよその価格を伝えると、そのまま成約となることもありますね」
コーディネーターが卸すのは、バンカラに対してだけではない。他のショップにも卸しているという。
「だから、高人気車両については、アメリカ〇〇州の〇〇に住む〇〇さんが持っている、という情報を、みんなが知っていたりします(笑)。余談ですが、アメリカにAMCAという組織があるのですが、そこでは車両情報を管理しています。ひと言で言うと、ヴィンテージハーレーに乗っている人の情報をデータベース化しているのです。日本ではなかなか考えられないですよね」
バンカラの現在の拠点は広島市内の1拠点のみだが、以前、東京と福岡にも出店していたことがある。いまから12年前、恵比寿店(東京都渋谷区)に店を構え、碑文谷店(ひもんや・目黒区)に工場を設置した。当時、神原社長は月に2回、ハイエースで通っていたという。当時の顧客には、元ジャニーズのタレントもいた。お洒落な街に店を構えたこともあり人気は高かく、オリジナルペイントのパンヘッドやオリジナル状態のナックル、ショベル、リペイントのデュオグライドなど、様々なものを取り揃えていたという。
東京店のオープンから5年後、今度は福岡に進出した。2014年のことだ。
「この店はオートバイをメインにはせず、カフェとアパレルをベースに展開しました。キッカケは、ウチのお客さんに福岡の方がいまして、その彼がアパレルの店をやりたい、と言っていたので、それじゃあ、とその場のノリで決めてしまったのです。考えが甘かったですね。中途半端な店だったので、3年と持ちませんでした。東京店ですか?元従業員に権利を譲渡しました。今も碑文谷で店を営んでいます。ヴィンテージハーレーが専門であるところは変わりませんが、店名も変わり全く別の店として営業しています」
コロナ禍で販売状況に何か変化はあったのだろうか。これについては、全く落ち込みはなく、むしろ上向いた、と即答する。驚かされたのは、まとめて5台購入したというユーザーの存在。総額は実に3000万円。乗るのではなく飾って鑑賞するのだという。このような買い方は、特例中の特例だと思われるが、この背景にはコロナ特有の事情があった。ユーザーのお金の使い道が変化し始めた、と神原社長は分析する。
「例えば旅行。かつては自由に行けた海外旅行も、昨年以降、ほぼ閉ざされてしまいました。そのため、旅行に流れていたお金がオートバイやクルマ、宝飾品に回るようになった。これも一因だと思います。そういう方って、お金を使うクセがついているので、確実に消費するのです」
コロナが収束したら、二輪業界の図式も大きく変わるものと思われるが、バンカラにおいては、従来からの固定客に加え、店舗移転やSNS効果により年々、商圏は拡大し、それに比例するカタチでユーザー数も大きく増加している。ヴィンテージハーレーという、ある意味ニッチな分野に特化し20年以上、ブレることなく突き進んできたことが、いまの隆盛をもたらしたのだろう。
最後に一つ。店名の「バンカラ」について、その由来を紹介する。このネーミングは神原社長の「カンバラ」を組み替えたもの。これに気付くユーザーは半数ほどだという。ちなみに「バンカラ」は粗野な学生のイメージで、その対極にあるのが「洗練」を想起させる「ハイカラ」である。
店の造形や店内の洒落た雰囲気から伝わるのは、どう考えても「ハイカラ」だが、あえてその対極を店名にするところにウィットを感じる。そのイメージこそがバンカラの本質なのだ。
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