公開日: 2024/02/02
更新日: 2024/02/08
日本の二輪メディア業界でカメラマンとして活躍する伊勢悟さんは、知る人ぞ知る存在だ。二輪雑誌の栄枯盛衰を体験し、90年代のハーレーブームの立役者のひとりとして、今年40年目のキャリアを迎える。「かっこいい乗り物に乗りたいって夢は今後も変わらない」。バイクと共に歩んだ人生、その情熱が冷めることはない。
80代初頭、伊勢悟さんはバイク雑誌の編集プロダクションで働く兄のひかるさんから「新雑誌を創刊するので、一眼レフカメラとバイクの知識のある人材が欲しい」と誘われて、カメラマンとして活動を始める。兄が関わっていたのは、モーターマガジン社発行のGOGGLE(ゴーグル)だった。時代は空前のバイクブーム、中古車売買が活発になり、同社より発行されているMr.バイクの別冊として、Mr.バイクBG(バイヤーズガイド)が中古車情報誌として創刊された。そこでバイク好きの20代の仲間が集まり、設立されたのがカラーズだ。85年から活動を開始。88年より編集プロダクションとして法人化する。
インターネットが存在しない時代。カラーズのスタッフは毎月150店鋪以上の中古車販売店を巡り、フィルムカメラで車両を撮影して記事を制作した。現在では考えられない膨大な情報量を、締め切りに間に合わせる業務は過酷であった。カラーズは地道に会社としての経験と実績を積み重ね、次第に多くのバイク雑誌のコンテンツを手掛けるようになる。
「情報を集めたくて、上野のバイク街に行ってアンケートを試みても、ユーザーが少なくて取材にならない。そこで第三京浜の保土ヶ谷パーキングにカスタムバイクが集まっていることに目をつけ、アンケートを集め始めたらとんでもない数のバイクで溢れかえるようになったんです」
こうして第三京浜&カスタムブームが到来。カラーズは二輪カルチャーの最前線に立って情報を発信していた。一方で伊勢さんたちは、ハーレーダビッドソンをはじめとするチョッパーカルチャーが好きで、収益が無くてもハーレーのイベントを回って独自に取材を続けていたという。そしてついには本場アメリカへ渡り、世界最大級のイベント、スタージスモーターサイクルラリーを取材。それをキッカケにハーレー本社と関係を築き、91年に「ハーレーダビットソンチョッパーズ」を発行。まだ日本はレーサーレプリカと絶版車ブームの最中だった。しかし、この新雑誌の発行後、次々と専門誌が登場。ハーレーをはじめとするアメリカンカスタムブームが巻き起こったのだ。
96年の免許制度改正で大型二輪免許が教習所で取得できるようになり、ハーレーにさらなる追い風が吹く。伊勢さんはアメリカで発行されている有名誌イージーライダースの日本版を発行。ハーレーダビッドソンジャパンのオフィシャル誌やハーレー専門誌全般、一般カルチャー誌にもバイクコンテンツを提供し、二輪業界で広く認知される存在となった。
現在も日本だけでなく、世界のカスタムショーなどを巡り、現地のバイクカルチャーを取材し、リアルな情報を発信し続けている。
「今、インドネシアやタイなどの東南アジアでは一大バイクブーム。カスタムショーやイベントが盛んに行われていて、日本のカスタムビルダーをとても尊敬してくれています。主催者の多くは僕の友人なので、ショーの審査員を務めたり、日本のショップやビルダーを紹介するなどして協力しています。バイクを通じて世界中が友達になれたらハッピーだなって思っています」
伊勢 悟(59歳)
岩手県出身。幼少期よりカメラとバイクに親しみ、10代で読売写真大賞などのフォトコンテストに入賞。19歳で上京し、カメラマンとして二輪雑誌業界で活躍中。
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