公開日: 2023/12/07
更新日: 2024/10/04
ハーレーのディーラーとして20年以上営業し、現在はハーレーを中心に海外メーカーの中古車を多く扱っている有限会社クリアランス。同店の主、田中誠社長は古いハーレーの車両上の特性や正しい乗り方を伴走しながら教えたり、日本人がハーレーに乗れるよう独自にアフターパーツを開発。ユーザー一人ひとりに寄り添いながら、ハーレーの魅力を伝え続けている。
まるで大人の秘密基地のような、男のロマンが詰まった店舗を構える、有限会社クリアランス(埼玉県草加市/田中誠社長)。拠点は国道4号線沿いに位置し、店には「FLDスイッチバック」や「FLSTFファットボーイ」をはじめ、トライアンフ「T120ボンネビル」やホンダ「ドリームCB72スーパースポーツ」などの希少車も並ぶ。
田中社長が二輪業界に携わるようになったのは、大学生の頃。子供の頃からバイクに興味を持っていたこともあり、実家の近くにあったバイクショップでアルバイトをしていた。また20歳の時には、同店の社長の知り合いがアメリカで営んでいた「CBサイクル」というバイクショップに半年間ホームステイ。この経験を通じて、海外メーカーに対する憧れが強くなった、と当時を振り返る。
「元々、デザインや機能性から、外車に興味を持っていました。そのため、仕事の手伝いではありましたが、現地に行ってハーレーをはじめとする海外メーカーのバイクに触れたことで、より扱ってみたいという思いが強くなったのです」
大学卒業後、田中社長はアルバイトをしていたバイクショップに入社。整備士の専門学校に通っていたわけではないため、整備に関することをはじめ、販売や営業など、バイクショップで働く上で必要なノウハウとスキルを学んだ。そんな田中社長だが、出張で大阪のあるバイクショップを訪れた時、同店の社長から言われた言葉をキッカケに、独立を考えるようになったという。
「1980年代、多くの販売店はとにかく数を売ることに重きを置いていたと思います。けれども、その社長は『利益を重視しなきゃダメだろ』と、異を唱えていたのです。当時は年間で6000台を販売していましたが、メーカーから卸した金額で売っていたため、ほとんど利益がありませんでした。その分は、バックマージンで補填していました。このやり方が当たり前だと思っていたため、社長の言葉はあまりにも衝撃的でした。利益を追求するためには、量から質へシフトして行くべきだと、考えるようになったのです」
上記のように、海外メーカーを扱いたい、質にこだわりたい、という思いを持っていた田中社長は、12年間の修行を経た1989年、34歳の時に一念発起し、クリアランスを創業した。
開業当初のクリアランスは、現在の店舗から3kmほど離れた、同じ草加市内に店を構えていた。念願であったハーレーやトライアンフ、ドゥカティなどの海外メーカーを扱い始めた同店だが、開業してすぐに、ハーレーの店として認知されるようになった出来事があったという。
「赤色のFLHTCUウルトラクラシックを10台購入したい、という注文がありました。当時は、全国でハーレーが3000台入ってくるかどうかの時代。あらゆる伝手を駆使して、1年以上かけて、なんとか全台納車しました。ただ、この出来事がキッカケで、1年中ハーレーを扱っていたため、近所の人から“ハーレーの店”と認識されるようになり、お客さんが増えていったのです」
その後1991年には、1989年に設立したハーレーダビッドソンジャパンから誘いを受け、ディーラーになる道を選択。さらに、田中社長は1995年に、ハーレーの整備における最高位の称号である「マスターオブテクノロジー」を獲得した。
2001年には、取扱台数が増えてきたことから、現在の場所に店舗を移転し、2014年までハーレーのディーラーとして営業。以降、インディアンやトライアンフなども扱うようになり、今日はハーレーをメインに、海外メーカーの中古車を多く販売している。
現在、クリアランスの販売台数は年間で約60台。そのうちの半分をハーレーが占めているが、扱っている車両の特性上、ユーザーにバイクを引き渡す際、必ず行っていることがあるという。
「納車時に一緒に走りながらバイクの乗り方を教えています。特にハーレーの古いモデルはニュートラルにギアが入りにくかったり、サイドスタンドが止めにくかったりとクセがあるので、乗り方をマスターしてもらってから、バイクをお渡ししています。そうしないと、すぐに壊してしまうのです。最も時間がかかった人は、ハーレーに乗りたくて大型免許を習得したばかりという女性ライダーで2ヶ月。ウチにバイクを置きっぱなしにしていいから練習しにきなよ、と言ったら喜んでいました」
ユーザー一人ひとりを大切にしているクリアランスだが、同店の強みは、田中社長のメカニックとしての腕にもある。先ほど、「マスターオブテクノロジー」を獲得したことに触れたが、整備やカスタムで田中社長を頼るユーザーも多い。
「日本人はアメリカ人と比べ体が小さいため、ハーレーの純正パーツだと、ステップに足が届かなかったり、ハンドルの幅が広すぎたりと、サイズが合っていないのです。いまはアフターパーツが充実していますが、1990年代は少なかった。そのため当時は、日本人サイズに合わせるために、オリジナルでステップやハンドルなどのパーツを開発しました。他にも、バイク専用の無線機をはじめ、メーターパネルやシールドなども作成して販売。これらのオリジナルパーツはかなり売れました。現在は、ネットで購入したカスタムパーツを付けて欲しい、といった内容が多くなっています」
このように、ユーザーのニーズに応え続けながら信頼関係を構築してきた田中社長。ユーザーから信頼を得ることができれば、何か困りごとがあった時には相談をしてくれたり、代替えにも繋がる、という。
クリアランスでは、ユーザーを楽しませることにも力を入れている。同店にはツーリングクラブがあり、多い時には100人ほどメンバーがいたという。他にもハーレー乗りからなる「キングホビーダビットソンクラブ」というツーリングクラブもあり、かつては全国のハーレーオーナーが集まる二輪交友会にも参加していた。
2009年には、1週間かけてアメリカツーリングを実施。現地でハーレーをレンタルし、ルート66を走ったり、ハーレーの本社を訪れたという。また、国内ではハーレーの夏フェス「ブルースカイヘブン」に何度も参加したり、北海道や東北、四国、九州など、日本各地へのツーリングも実施している。
他にも、BBQや忘年会など、様々なイベントを開催。現在はコロナ禍をキッカケに頻度が減ってしまったが、多い時には月に1回のペースでイベントを行っていたという。
「オートバイの文化と遊びを提供するのがクリアランスのモットーです。バイクを販売して終わりではなく、お客さんの面倒を見ることまでが、バイクショップの役割だと考えています。そのため、ウチはお客さんとの距離がかなり近い。これは、お客さん一人ひとりを大切にすることができている結果だと思います」
クリアランスでは、バイク事業以外に不動産事業も行っている。これは2020年より、同店が所有している土地の管理を自社で行うために、ご子息の卓也さんが資格を取り、「クリアランス不動産部」として始めたもの。現在、賃貸収入もあるため、クリアランスを支える大事な事業になっているという。
二輪業界の酸いも甘いも噛み分けた田中社長。中古車をメインに扱う今日において、BDSは欠かせない存在だという。
「キチンと仕上げた車両をBDSオークションに出品すればそれなりの値段が付くし、探している車両もすぐに見つかる。また、柏の杜会場に行けば他の会員店さんと情報交換ができるので、もっと頑張らなきゃ、と毎回刺激を受けています。ウチはBDSがあるから食っていけています」
さらに、いまのクリアランスがあるのは奥様の悦子さんのおかげ、と語気を強める。
「お金のやりくりや伝票の管理、ツーリングやイベントの準備など、色々と苦労をかけました。ディーラー時代には、パソコンを使えるスタッフが必要と言われ、パソコン教室に通ってもらったりもしました。女房の存在なくして、いまのクリアランスはありません」
確かな技術を携え、長年にわたりユーザーにオートバイの文化と遊びを提供し続けてきた田中社長。「ガソリンの匂いを嗅ぐと、これから楽しいことがあると思っちゃう」と笑顔で語る同氏は、人一倍バイク、特にハーレーを愛することで、その魅力をユーザーに伝え続けているのだ。
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