公開日: 2024/10/04
更新日: 2024/10/21
年間販売台数、約3000台。複数年にわたり、広島県で販売実績上位を走り続ける株式会社広島オートバイ販売。小笠原真社長は、業績を伸ばしていきながら、スタッフ待遇や労働環境の改善など社内改革を実行。社長就任後、広島県だけでなく、全国でも上位の販売台数を誇るまで、業績を進化発展させてきた。その背景には、スタッフ第一主義の経営があった。
昨年の新車販売台数は県内トップ。3位でもなく2位でもなく首位である。しかも、日本の8大都市に数えられる広島県での実績だ。いかに難しいかが分かる。
株式会社広島オートバイ販売(HOH)。二輪業界では、全国的に名の知れた大手二輪販売店である。拠点は、広島市内に出汐店、観音店、祗園店、五日市店、高陽店の5店舗を展開する。
舵を取るのは、小笠原真社長。同氏は、異色の経歴の持ち主である。高校卒業後、短期大学に進学し、そこで2級自動車整備士資格を取得する。卒業後はそのまま二輪業界、または四輪業界に就職するのが一般的だが、同氏は違った。なんと、病院(クリニック)に就職したのだ。しかも、勤務地は広島ではなく東京だった。
「私は高校生の時、母を癌で亡くしています。父(HOH創業者で現会長の幸氏)は商売の関係上、弁護士や司法書士などの知り合いが多くいましたが、医療関係のコネクションを持っていませんでした。そのため、身内で何かあった時に頼れる人脈を作っておいて欲しいと、母が治療を行っていた東京の免疫細胞療法を専門とするクリニックにお願いをして、私が働くことになったのです」
小笠原社長は、医療免許を持っていない。そのためクリニックでは、免疫細胞療法の研究に必要な献血者集めや、毎月患者に発行する研究データの報告、検査データの見方をまとめた“社内報”の作成などを行っていたと言う。ただ、ゼロからのスタートであったため、就職してからの数年、悪戦苦闘の日々を過ごしていた小笠原社長。そんな同氏だが、27歳の時に転機が訪れる。クリニックのオーナーから、後を継いで欲しい、と打診されたのだ。
「はじめは冗談だと思っていましたが、オーナーは本気でした。私は医療業界の知識がないまま就職したので、勉強はものすごくしました。そのため、打診された時は信頼を得ることができたのだな、と本当に嬉しかったし、自信にも繋がりました」
ただこの頃から、このままクリニックで働き続けるか、広島に戻るべきか、自分の将来を考えるようになった小笠原社長。オーナーは第二の父のような存在であり、クリニックでの時間はとても有意義なものであったため、ものすごく悩んだと言う。
苦悩の末に出した答えは、家業に就くこと。この理由について、同氏は次のように説明する。
「父から後を継いで欲しい、と言われていたわけではありませんが、父に何かあった時に自分が家業を継がないといけないと思ったのがキッカケです。ただ、いきなり私が家業を継ぐとなったら、絶対に人はついてこない。そのため、家業に就くと決心してからは、既存スタッフと信頼を積み重ねることが必要だと考え、すぐに広島に戻るべきだと思いました」
小笠原社長はクリニックで1年間引き継ぎを行った後、2006年9月、28歳の時に家業に就いた。
二輪業界のことがあまり分からないまま、HOHで働き始めた小笠原社長。同氏がまず行ったのは、各店舗を1ヵ月ごとに周り、毎日洗車など、中古車仕上げを行うこと。その後、幸氏のもとで経営のノウハウを学び2011年1月、代表取締役社長に就任した。ただ、当初は名ばかりの社長であったという。
「当時のHOHは、社会保険に加入していないスタッフがいたり、労働面においても環境整備が整っていなかったこともあり、年間で5人以上も辞めるほど離職率が高かった。そのため、もっとスタッフを大切にした方がいいのではないかと父に提案すると、経費が増大することを指摘されるなど、意見が噛み合いませんでした」
医療業界という外の世界を知っていたからこそ、HOHのスタッフ待遇や労働環境を改善すべきであると考えていた小笠原社長。同氏は社長就任時点で自社株の半数を所有していたが、幸氏が主導権を握っており、自分がやりたいことを実行できず、もどかしい日々を過ごしていた。そこで2013年、銀行から資金を借り入れ、残り半分の自社株を幸氏からすべて購入。会社の方針を自身で決められる体制へと変更した。
また、同氏は社長に就任したら、必ず実行すると決めていたことがあるいう。
「店長になりたい、と思ってもらえるような店長像を作ることです。2012年までは、店長は夜遅くまで働くのが当たり前。そして、給料も安かった。誰が店長になりたいと思うんだ、と感じていました。人は目標がないと頑張れないと思います。だからこそ、スタッフが目標を持って働けるようにしたかったのです」
2013年より、小笠原社長は社内改革に取り掛かる。翌年には、広島にも土砂災害など大きな被害をもたらした西日本大豪雨が発生。当時、流通が長期間にわたって滞り、他のバイクショップでは、売りたくても売れない状況に陥っていたと言う。けれども、事前に多くの在庫車両を仕入れていたことが功を奏し、HOHは同年、初めて年間販売台数3000台超えを達成。販売台数において、広島県、さらには全国でも上位の成績を記録した。
小笠原社長は、「気持ちよく働ける場所があってこそ、確かな技術とサービスを提供できる」との考えのもと、業績を伸ばしていきながら、その利益をスタッフの給与アップや、社会保険加入の資金に充当。さらに、自身の経験からサービスピットにエアコンやお湯が出る設備を設置するなど、労働環境の改善にも取り組んだ。
「これはHPにも公開していますが、いまでは優れた業績を残した店長の年収は1000万円を超えています。頑張ってくれた分だけ、スタッフに還元する。これらの取り組みの結果、いまは店長を目指したい、という人が増えてきました」
また、現在の離職率は、年間で1人辞めるかどうか。小笠原社長は10年間かけ、スタッフの満足度を高め続けてきたのだ。
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